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お知らせ
2023/04/19●西陣織の説明
西陣の地名の起こりについては、室町時代の応仁元(1467)に勃発した応仁の乱(応仁・文明の乱ともいう)に起因する。 上御霊神社の森から始まった大乱は、当時の管領を巻き込み、さらに足利義政とその妻、日野登美子との将軍家相続問題まで絡み、迷走の極みであった。
この時、堀川通より東側に陣をしいたのが細川勝元の「東陣」、西側に布陣したのが山名宗全の「西陣」だった。これが西陣の地名の由来となり、現在、東陣は残っていない。
西陣織の礎となる技術は、5~6世紀頃に渡来した氏族秦氏がもたらした。 秦氏は養蚕、機織りの技術に長けていた。律令社会では織部 司が設置され、皇族をはじめ貴族たちの織物を生産していた。
平安時代中期にさしかかると、織物は民間へと次第に移行され、西陣の一角、堀川下立売から下長者町あたりで,綾、絹が織られていたと言われる。 しかし、先の応仁の大乱荒廃したのち、近代にかけて発展を遂げる。
江戸時代、元禄16年(1703)頃、西陣織は繚乱期を迎える。織屋町は160町に及んだという。このあと、享保15年(1730)、天明8年(1788)の大火をくぐり抜け、明治時代へと向かう。ここで新たな技術革新が行われ、西陣と言えば高級絹織物の名前が定着したのである。

出典(京都通どすえ)清水さとし

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